2007年10月29日月曜日

超図解 竹内文書―地球3000億年の記憶

超図解 竹内文書―地球3000億年の記憶




天空浮船による世界巡幸―古代ワン・ワールドに還れ。ユダヤ・シュメール・中国すべて日本の枝国だった。太古代、根源人種日本人はあらゆる文明のひな型をつくり出し、高い精神性に支えられた偉大なる超科学文明を築きあげていた。その頂点に君臨したのが、宇宙からの来訪者=天皇だった。地球3000億年の記憶、究極の聖典「Takeuchi Document」の世界。

ユダヤ・シュメール・中国は、すべて日本の枝国だった。太古代、宇宙から来訪した天皇(スメラミコト)は、天空浮船に乗り世界を支配していた。究極の根元聖典を大詳解。









この本のP158の「酒井勝軍と竹内文書」の章より


ピラミッドの謎を解く決定的な資料が竹内家に伝わっている。それを述べる前に、資料発見につながった酒井と竹内文書のつながりからみてみよう。

酒井は明治六年に山形県の生まれ、もとはキリスト教の牧師であったが、大正の初期から次第に超古代史の研究に傾倒するようになる。



その語、語学力を買われて、政府の中東使節団の通訳としてエジプトへ行ったのを機に、日本のピラミッド件研究にその生産を捧げることになる。

彼が皇祖皇太神宮を訪ねたのは帰国後間もなくのことであった。

酒井の日本ピラミッド発見第一号は、広島県庄原村の葦嶽山であった。

葦嶽山は見事な三角形の山で、太陽石と列石の配置は複様内宮式で鏡石、方位石、机石のほか、スフィンクスを連想させるエボシ岩(ライオン岩)まであった。




その上、考古学調査によって二万二千年前のものであったことがわかった。

酒井はピラミッドの発見に狂喜した。

しかし、歴史的な裏づけはまだ何もない。

葦嶽山ピラミッド発見当時、竹内文書にはピラミッドについての記述はまだ発見されていなかったのである。

しかし、ピラミッドの存在が現実に確認された以上、必ずや竹内文書にも何かしら記述があるはずだと考えた酒井は、竹内巨麿に文書の再調査を申し入れたのである。

ピラミッドご神体石の発見

竹内家では熱心な酒井の要請に応じ、当時まだ封が開けられていなかった古文書の開封に踏み切った。

果たしてその未開封の子文書の中から、ピラミッドについての記述が発見されたのであった。

それは、古文書の一部とピラミッドのご神体石であった。





このご神体石には神代文字のひとつモリツネ文字で次のように記されていた。

「年三月円十六日、詔して、吉備津根本国に大綱手彦、天皇霊廟、亦名メシヤ、日の神、造主神、日来神宮(ヒラミット)」


なんと!文中に「ヒラミット(日来神宮)」という言葉が登場するのである。


ここで、先日ブログでもUPした記事をもう一度参照してほしい。





0 件のコメント: