2007年10月22日月曜日

平成十九年十月二十一日葦嶽山登頂参拝




平成十九年十月二十一日葦嶽山登頂参拝





↓は広島県の観光協会と商工会が発行している葦嶽山のパンフレットです。



↑のパンフレットの右下の説明欄の最後の方にも[UFOが飛来するという話もあり、日本ピラミット葦嶽山は、現代の人々の心を謎とロマンに満ちた太古の巨石文化の世界に誘ってくれます」と紹介されている。



以前にもブログに書いたのですが、私の尊敬する原先生も過去に,この葦嶽山に何度も登頂して神谷と言う不思議な能力を持つ人物と登頂して、不思議な体験をされている。



また、夜にこの葦嶽山でUFOらしきものを数人で目撃されている。



私は先般からの3度のUFO遭遇で、最近やたらと、この葦嶽山に対する思いが強くなり、実は昨日、広島の葦嶽山に3度目の登頂をして来た。


本当に懐かしい思いと今は亡き神谷さんの思いを胸に抱きながら神谷先生への挨拶と日本ピラミッドのエネルギーを浴びに行って来ました。



今からかれ、かれこれ約20年ぐらい前の体験でしたが、何故か?この葦嶽山に神谷さんと登頂すると不思議な写真が撮影されるのです。



しかも?何故か?そのカメラはポラロイドカメラでしか?不思議な写真が撮れないのです。



それで、今回の3度目の登頂でポラロイドを用意できず、所有のデジカメでしか撮影することができませんでした。


しかし、今回はニコンのクールピクスで動画を撮って来たのでYOUTUBEに動画をUPして公開させて頂きます!!


2007/10/21葦嶽山登頂山頂より



2007/10/21葦嶽山ドルメン



2007/10/21 葦嶽山 鬼呼山 鏡岩 太石柱



2007/10/21葦嶽山 鬼叫山


それで、3度目の登頂でやはり、原先生が言っていたように鬼叫山(ききょうざん)のドンメル付近にあった鳥居が無くなっていました。



この日の登頂は僕の家内と娘夫婦と孫2人の合計6人で登頂しました。



まず、当日の朝4時半に起床して、大阪を出発したのが、6時でした。



片道約4時間で葦嶽山の登頂口に到着したのが10時半ごろでした。



それで、灰原ルートの一番近道で急な斜面があるルートで、なんと1歳と3歳の孫を連れて約1時間ほどで葦嶽山の頂上に登頂しました。



山頂では、15人ぐらいの団体がハイキングに来られていてお昼のお弁当を食べる所でした。



その団体さんは私達家族を見てビックリしていた。



それは1歳と3歳の子供までもこの葦嶽山に登頂して来たことにビックリしていた。



それで、先に私と3歳の孫が山頂に登頂していたので、その団体さんと挨拶して少し会話をした時のことです・・・


その団体さん中の一人が、「この葦嶽山の向かいにある「鬼叫山」のドンメルに合った鳥居の跡をカメラに撮影したら、不思議な写真を撮った方がいる。」と言うのです。



その写真には「写るはずの無い人の顔が写っていた。」と言ったのです。

やはり、この山には何か?あるのは間違いない。



僕はもしかしたら神谷先生かも知れないナ?と心の中でつぶやいた。



この団体さんは当然、僕とは面識もない方々でした。



そうこうしていると、家内達が遅れて山頂に到着した。



それで一緒に、向かいにある約10分ほどで行けるのですが、山の斜面がきつく足元が整備されておらず、すべるので、小さい子供はすべり落ちるので、抱きかかえて降りようとすると僕もすべり孫が危険なので、仕方なく子供と家内達は諦めることにして、僕だけ巨石群のある鬼叫山に行った。



しかし、この巨石群がある鬼叫山とは不思議な名前がついている?・・・



もしか?したらこの巨石を作った古代人は鬼に似た宇宙人と交信してたのか?も知れない?・・・



鬼伝説も関係があるのか?・・・



このパンフレットにはこのように記されている箇所が気になる。



それは「大正の初めに、この下に神武天皇の財宝が隠されているという噂が流れ、大勢の人が押しかけて石柱を倒して宝を探し回ったために、今ではこの大石柱1本しか立っていません。」とある。






神谷さんが以前の生前に「神聖な巨石を人々の我欲の為に破壊したことを悲しんでした」ことを思い出した。


本当に愚かな行為だ。







一度、この巨石を自分の目で確かめた方はほとんど感じると思うのですが、鏡岩は重さは10トン以上はあると思われますが、このような人工的な巨石を一体?誰が?なんの目的?でこの険しい山頂まで運んで来たか?本当に素直に不思議に感じる。と思います。












さらに、この鏡岩は太古の光通信装置であったようなのです。




↑この太石柱の上に丸い穴が開いているので、そこに光石をはめ込み、後ろの巨大な鏡岩に反射させて古代人は光通信をした可能性がると言うのです。












本当に懐かしい思い出がよみがえってきた。