2007年12月18日火曜日

九鬼文献と高御位山と大本と「ウシトラの金神」

今日はどえらいことに気が付いた!!



多分、もうダメです。



M総合研究所はもはや完全にオーバーヒートです。



なんでこのようなことに関わってしまったのか?

「オー・マイ・ゴット」と叫びたい心境です。



それは、先日、ある方に武良さんが高御位山で撮影したUFOの写真をお渡した。


(↑武良さんが高御位山で撮影したUFO)



この写真を武良さんのご了承を得てM総研で公開した時のブログ記事



僕のマンションの前に出現したUFO写真もいっしょに渡した。




それで、今月号の月刊ムーにその高御位山のことが紹介されていた記事を見てビックリした。



なんと!高御位山には大本に関係するものが祭られていることを知った。

それで、非常に興味があり、あれから色々調べていたら、この九鬼文献のことを知った。



言葉が出なかった・・・



思わず船井幸雄に知らせたくなったが、あの人に以前、メールを発信したが、相手にされずジマイの過去があるので、やはりやめておこう。

(多分船井幸雄もご存知と見解するが・・・)



でも・でも・でもそんなの関係ねぇ~

と、ここで小島ヨシオのギャグはやめておけ。ドテ・バタ・閉店ガラガラ~

高御位山の磐座
http://video.ask.jp/watch.do?v=1b9a243b-4074-4cf8-ab4d-f2b29024b5c7

高御位山からの眺望

















九鬼文書の研究



「九鬼文書の研究」の全文を復刻し、次いで「特別資料編」として参考資料を掲載し、最後に「解説篇」を付す。86年刊の新装版

本書の原本は、戦時下の昭和15~6年頃、著者・三浦一郎が、九鬼子爵家の邸内奥深くに潜伏、「開かずの箱」として一子相伝にて伝えられた秘密の古文献を整理、太古史研究の同志に配付すべく数十部を地下出版したものである。その後、古文献そのものは、昭和20年の空襲で焼失、本書は『九鬼古文献』の写本をふくむ唯一の貴重な資料となった。

--------------------------------------------------------------------------------
あやべ九鬼大隅守と申すものは、これは因縁のあることざぞよ。この因縁が判りてきたら、どえらいことになるぞよ。 出口なお
--------------------------------------------------------------------------------

九鬼文書に記された2つの高御位山の謎


『九鬼文献』には大本神話との不思議な暗合構造が存在する。九鬼家は、熊野神社の神官で、中世には水軍として勇名を馳せたが、徳川時代には綾部に転封された。その綾部で、明治期に大本教が発生するが、開祖出口ナオのお筆先に「九鬼大隅守の因縁がわかりてきたらどえらいことになるぞよ」という一節があり、両者のあいだには複雑な共通の伝承ソースが想定される。『九鬼文献』では、九鬼家の遠祖は「高御位山」なる処において「鬼門八神・宇志採羅金神」を祭祀していたとし、皇祖神をスサノオとするが、大本神話の中心神格は「艮の金神」とスサノオ尊であることは周知の事実である。さらに「高御位山」の所在についても、出口王仁三郎が「坤の金神」の聖地であるとして島開きを行った播州神島の対岸の神山と、王仁三郎が修行した丹波亀岡の高熊山という二つの文脈が語られる。

岡本三典先生の折鶴講演 (日月神示)



日月神示
http://ja.wikipedia.org/wiki/日月神示

九鬼文書の伝承世界
 九鬼文書は、およそ3つの伝承が複雑に絡まりあって成立したと推定される。
1.大中臣系の伝承 かつて宮中の「天津神祇殿」に「天地言文」という太古の古記録が奉斎されてきたが,用命2年, カラー 蘇我氏によって同殿に火が放たれたとき、大中臣牟知麿がこれを持ちだし信州に落ち延びた。宇宙卵モトツワタラセにはじまる奇怪な宇宙開闢伝承と神統譜を伝える。


2.スサノオ王朝の伝承 皇祖神をスサノオとする出雲朝廷の特異な伝承、古代越国における十二の宝玉による国魂鎮祭伝承などが語られる。宇宙創世神宇志採羅根真大神(鬼門八神)の高御位山における祭祀に関する伝承をもふくむが、この高御位山には二つの文脈の存在が確認される。ひとつは播州の「高御位山」で、『霊界物語』では「坤の金神」が幽閉されていたとされる「神島」の対岸に位置する。さらに、もうひとつの文脈では、王仁三郎の初発の霊界体験の地である亀岡の高熊山であり、「九鬼大隅守との因縁がわかるとどえらいことになるぞよ」というナオのお筆先とあわせ、大本神話との深秘なる暗号が注目される。


3.熊野修験系の伝承 2にも関連するが、九鬼家は中世においては修験の宗家として熊野地方に蟠踞していた。修験道の起源をアマテラスとスサノオのウケヒに求め、大物主神が吉備の熊山に出現し、紀州熊野へ進駐したことなど特異な伝承を伝える。